コンボ・イ・ランド感想ブログ!

コンボイ35周年おめでとうございます!!そして最高で最高で最高なコンボ・イ・ランドありがとうございました!!!!

 

コンボイ初見の友達と一緒に見に行ったのですが、友達に対する補足の意味も込めて細かいストーリーがないこの演劇でなぜ私が感動したのかまとめてみた。要はコンボイ14人が眼前に並んだ時の眺めはすごく強いよ!ということが言いたいだけのエントリなんですが、本当に涙が出るほどかっこいいので無い言を尽くしてかっこよさを語らせてください。

コンボイの面白さとは

コンボイの感想文と言いつつ最初に私の話から始めてしまうけど、演劇って本当に面白いんだろうか?と思うことが結構よくある。

実は私が演劇を見始めたきっかけは大学で専攻したかった音楽のゼミが無くなってしまい、代わりに仕方なく演劇を勉強することになったからという、めちゃくちゃ消極的な理由だった。今は結構楽しんで観劇してるけど元々の入り口はしょうがなく勉強すべきものだったから、自分で演劇を好きになって自分でいろいろ見に行ってる人には敵わないといつも思ってた。(何が敵わないのかはよくわからないけど…)

わざわざ演劇を専攻するからにはそれなりの意味が欲しくて、演劇にしかできない表現って何だろう?ということを大学の時からずっと考えてた。ただのストーリーテリングなら文章表現の方が細部まで語れるかもしれないし、感情の表現方法としてなら、音楽だってとてもいい手段だと思う。それでも演劇がある意味ってなんだろう?とずっと考えてた。演劇って本当に表現できる要素が多岐にわたる芸術なので、本質とは何か?ということを見極めるのがとても重要だと思う。自分なりの、「演劇の面白さとはこれだ!」というビジョンがないと、演劇楽しめないんじゃないかと思う。私はそのビジョンを持てていなかったから、それが何かわかるまでは演劇を見よう、と思って暇になると公演に行ってみることにしていた。

今でも演劇ってマジでよくわからない。私は演劇に関わっている人たちの精神性に共感してるわけではないし、演劇作品の主張に乗り切れないことも多い。面白いと思う演劇の本数が本当に少なくて、もう見るのやめようかなと思うけど、やめようかなと思っている時にようやくありえないくらいのパワーを持っている舞台に出会って、もうちょい色々見てみよう、考えてみようと思わさせられる。(私にとってそれはNODA MAPの逆鱗であり、つかこうへいの売春捜査官であり、コンボイのパ・ピ・プ・ペ・ポ~だった)

演劇作品を作るためには、すごい数の人たちが共通の目標を持って一つの作品を完成させる必要がある。形がなくて、大勢が集まらないと完成しないし完成してからじゃないと全容が見えない演劇という共同幻想のようなものを信じて追い求めるのはマジで正気の沙汰とは思えない。そんな正気じゃないような行いを理解できないと思いながら尊敬している。

「チ。」という漫画の中で地動説を唱える人達が教会から異端とされて、火あぶりになったり理不尽に殺されたりしてもなお、ありとあらゆる手段を使って地動説の研究を後世に引き継ごうとするシーンがある。その漫画の中で教会側の人間が地動説を支持する人達を見る時と同じようなまなざしで、私は演劇人たちを見ている。

 

そんな、演劇に対して外様のスタンスでいた私だけど、最近うすうす舞台に生身の人間が立ってるから演劇って特別なのかも、と思うようになったし、今回コンボ・イ・ランドを見て更にその気持ちを強めた。コンボイは1人1人の存在感がものすごくて、でも全員の存在感のバランスが良くて、全員が主役で全員が脇役という言葉が本当にしっくりくる。

今回一番印象に残っているのは若手組の存在感を以前よりも感じるようになったことだ。特に本田さん・伊藤壮太朗さんに関しては2人してなんかめちゃくちゃ安定して見えたし、2人がわちゃわちゃしてるところを見るとめちゃくちゃな気持ちになる。まさかコンボイでケミ推しをすることになると思ってなかった…。

それ以外のメンバーも、ものすごく個性が際立って見えた。私がコンボイに対する解像度が上がったからそう見えるだけかもしれないけど、この曲はこの人に一番合う!っていう曲がどのメンバーにもある。年齢すらも個性の一つに見えて、若手vsオリメンさんたちの対立構造じゃなくて、全員輝きの強い1人1人の人間に見えてそれがすごく好きだった。

演劇って生の人間がその場で演じるものだから、肉迫感が違うしセリフ一つ一つのリアリティがずしんと重い。人1人そこに立ってることで、舞台上で起きることが現実のこととして自分に迫ってくる。自分の体調とかその日の会場のグルーヴとかが影響してそれを受け取れるかは公演によって違うけど、彼らが生きていることをリアルに感じられた時、最後の横並びになって歌うコンボイの強さがわかる。

一番最後の流れ星の正体で、大サビまではオリメンさんたちが歌っているけど、大サビの前で若手がゆっくり出てきて、オリメンさんたちを追い抜かして最前列に出てくる。少し歌った後、また最後に全員で横並びになって歌い始める。全然泣くところじゃないのに、一つになって歌う人たちを見てあまりの奇跡に泣いてしまった。

 

コンボ・イ・ランドについて

今作はasiapan、星屑バンプ、ONE!、ATOM、パ・ピ・プ・ペ・ポ~!の5作が断片的につなぎ合わさってる構成になっている。

緊急事態宣言が空けたら倉庫に集合!そう言って集まったコンボイのメンバーは、「ガラクタ」である過去の小道具をしみじみと眺め、過去の公演に思いを馳せる。

 

コンボイは2017年から若手メンバーを交えて走り始めた。コンボ・イ・ランドはでコンボイ若手が入ってからの5演目が使用されているが、実際はもっとたくさん演目がある。スゲーなと思ったのはコンボイアニバーサリー公演!過去の公演を振り返る!と銘打っておきながら、若手が入ってきた後の公演しか取り扱っていないことだ。コンボイ35年の歴史はもっとあるし、演目だってもっといろんな演目をやってきたはずだ。なのに若手が出ている演目しか使っていない。一度家族になったものを絶対にのけものにしないようにしてくれているのかもしれない。

5作の繋がり方は多分あんまり重要視されていなくて一見バラバラに見えるけど、でもコンボイの公演って基本的に今を生きている彼ら自身のこととか、観客を元気づける!みたいなとても普遍的なテーマが軸の物語になっているので、大きな目線で見たときに読後感がずれることはない。話が繋がってるわけじゃないけど、1つ1つの公演がどれだけ大事な公演だったかは何も知らない人もコンボ・イ・ランドを見ればわかると思うし、舞台に積まれている小道具全部が歴史を持っていることがなんとなくわかると思う。一見バラバラに見える1個1個の要素が歴史の積み重ねとなって、公演が進むごとにどんどん35年の厚みがわかっていく。公演の中で14人が横並びになるシーンは何度も出てくるけど、横並びになる時の感動は後半になっていくにつれてどんどん増していく。1人1人の存在感とか生命の輝きみたいなものに帰着するために物語があるような構成だった。

 

パンフレットに、壮太朗さんが初めてコンボイに参加した時のエピソードが書かれていた。

壮太朗さんいわく、ねずみさんがほとんど壮太朗さんと話したことなかった段階から壮太朗さんがどんな人かわかっていて、壮太朗さんらしき行動を台本の中に落とし込んでいたらしいけど、きっとねずみさんの作家としてのもっともすぐれた能力はそうやって人を見抜く力なんじゃないかなと想像してる。そういう人だから、1人1人のことを理解して適したセリフ・演出をあてがって、最終的に生命の輝きみたいな一瞬のものを切り取った作品を作ることができるんじゃないかな。完全に想像だけど。

 

改めて、ねずみさんが劇作も演出もして、自分でも出演してることの意味を強く感じる。今でこそコンボイって歴史のある団体で、ビートたけしに褒められたとか武道館満員にしたとか箔がついているけど、おそらくもともとの成り立ちを考えるとめちゃくちゃ手弁当な集まりだったはずなのだ。(だって作演出演全部ねずみさんなんだもん)

今回の「コンボ・イ・ランド」は新作公演だけど、彼らはなんも新しいことを言ってない。ところどころセリフを変えている部分はあれど、過去使ったセリフを使って彼ら自身の話とか観客を応援するとか、今までと変わらないメッセージを発信し続ける。きっと35年前から同じように今を生きている彼らの演目をやり続けてきたのではないかと思うけど、演じるメンバーが変わることでこちらが受け取る意味も形を変えていく。役者1人1人の生きてきた人生を意味深く受け取らせてもらえるための舞台装置として物語があって、役者はそこにただ立っている姿を見せるために役を演じる。

繰り返すけど、そこに立っている人間の生身のパワーを味わえる作品だったから、異なるバックグラウンドの人間が一塊になって立ってるコンボイはそれはもう強い。作品を鑑賞する時、作品は作者から切り離して考えるべきか?という問いがあるけど、コンボイは確実に作者や出演者のバックグラウンドがわかっていた方が面白い。演じている役の名前もそこまで重要じゃないし、演じている役と役者そのものの人間性がくるくる交代する中で役者本人のパワーを感じるために、役者本人だったら絶対に言わない言葉が何なのかわかっていた方が面白いと思う。

 

ねずみさんが劇団夢の遊眠社にいた時、野田秀樹から長い間セリフをもらえなかったエピソードを語ってくれたことがある。野田秀樹はねずみさんは立っているだけで存在感があるから、というようなことを言ってセリフを与えなかったらしいけど、存在感がある役者だということはとてもよくわかる。立ってるだけで成立するほどかっこいい。そんなねずみさんが主催するカンパニー(?)で、役者の存在感を軸にした演劇をやるのはある種しっくりくる事実で、一つの演劇の面白さを突き詰めた形だなと思います。

 

おわりに

上に書いたことはまだ2年ちょいしかコンボイを見ていない人間の想像なので、10年、20年とコンボイを追いかけている人たちの話も聞いてみたいと切に切に思います。

私がコンボイを見ていて一番いいなと思うのは観客と演者が旧友みたいな距離感でいることで、長く続いているコンテンツは少なからずファンとコンテンツで一緒に作り上げてきた歴史があるはずなので、35年間のオモロイ話をいろいろ聞いてみたいなあと思う次第でした。

 

今日31日大楽を見てきたけど、年の瀬にコンボイに部隊の上からいろんな言葉をかけてもらったような気がしてとても幸せな気持ちになりました。

素敵な35周年公演ありがとうございました。とっても良い年末になりました!

コンボイのみなさまもオタクのみなさまも寒さに気を付けて良いお年をお迎えください。今年もありがとうございました!